清水弥生堂100年物語

四代目 大地

東京で経営と営業を学び、帰郷

大地は大学卒業後、東京の企業へ就職。経営者支援の雑誌広告の営業を行っていました。大学2年の時には清水弥生堂に入ることを決めていた大地にとって、ここでの仕事は経営と営業を学ぶための修業でもありました。2011年、大地は高山へ戻り、清水弥生堂に入社。

先輩について配達業務の勉強から始めた大地は、知れば知るほど奥深い食品業界のおもしろさを実感。すぐに仕事にのめり込む様になったのです。
やがて業務にも徐々に慣れてくると、少しずつ会社内のことも見えて来る様になりました。

時代の流れに乗り、洋菓子材料販売へ
会社の組織化を推進

さらなる組織化を図った方がいいと考えた大地は、これまでの課長会議だけではなく各課の会議も行った方がいいと幸平に提案。その提案が受け入れられ、毎週各課で会議が行われる様になりました。
また、若手社員など誰もが商品を売れる仕組みを作ろうと様々な「商品リスト」を作成。これにより、商品の在庫管理や統一も図れる様にしました。そして、徐々に売り上げの拡大にも繋がって行きました。さらにホームページやSNSを活用して、積極的に会社PRも展開し始めたのです。

会社の組織化を推進

時代に対応した新しい商売を拡大

めまぐるしく変わる今の時代、「何か次の手も打たなければ」と常に考えている大地は、2014年に行われた展示会で「ハラール」という言葉に出会います。
「国際観光都市・飛騨高山にとって、ムスリム(イスラム教徒)向けの食材調達も必要だ」と感じた大地。さらにこれからは、諸外国の文化やアレルギーを考慮した、「食のバリアフリー化」にも取り組み、「あらゆる宗教や体質の方が飛騨に遊びに来ても、食事を楽しめる環境整備をしよう」と考えています。
さらに国内マーケットの減少や飛騨の観光依存に不安を感じ、今後は輸出も視野に入れて「100年先まで続く会社にしよう」と決意。飛騨を牽引するリーダーとしての活躍に、周囲の期待も大きくふくらみます。

時代に対応した新しい商売を拡大

「自分があるのは先代のおかげ」と話す大地。
先代が活躍している間に、次世代の新しい知恵でまた商売を広げる。
その絶え間ない努力で、創業200年をめざして清水弥生堂はこれからも歩み続けていきます。

創業200年をめざして

「初代 幸太郎」へ
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